2020年3月6日金曜日

高村薫の5冊 その2 神の火


6段目2番
インドへ


初めての海外旅行インドへは、バンコク経由で行った
廃校を利用した宿泊施設遊学舎のバイトで知り合ったコーローさんに「インドはよもさんのためにあるような国だ 行けば必ずハマル」とそそのかされたのだ

パートナーのミサトさんは「インドにいる日本人でコーローを知らない人がいたら、それはモグリよ」と言った
そのコーローさん一家とカルカッタで別れブッダガヤへ移動した
開口一番「俺はムスリムだ」と宣言したナシム
「おまえは日本人か? これから街中へ行くんだろ? だったら乗れ」
と彼が雇ったリキシャにいざない、おまけに宿まで見繕ってくれた

「渋谷、新宿、池袋」
と、言いながら近づいてきた、唇がやけに分厚い少年ヒラム「ワタシプロのガイドね ワタシアンタが気に入った ただでガイドしてやる お礼はいらない お金もいらない」
とその唇をブルブルさせた

二人の親切の押し売りを拒否することができなかった
「ナシムはオクサン殴るネ 拳骨で殴る オクサン別れたいけど、ナシム 許さない」
「日本へ行ったことがあると奴は言ってなかったか? でも大嘘だ みんなデタラメだ 奴の日本語は俺が教えたのだ」
ナシムが日本語を発することは、なかった
「君の日本語の先生はナシムなのか?」
聞いたが、ヒラムは否定も肯定もしなかった
二人に挟まれ<身動き>が<息継ぎ>ができなくなり予定を早めベナレスへ急いだ

バックパッカーたるもの貧乏旅行でなければならない
コーローさんの教えに従い宿は安いのにした 
当然トイレシャワーは共同になる
失敗だった
尿意を覚えても便意を催しても
部屋の外に「人の話し声」が聞こえ「人の気配」を察すると、出て行くことができなかった 
ギリギリまで耐えた

「ノー」と言えない日本人だった
そのせいで物乞いの五、六歳の少女は、ぼくの右手の小指を握ったまま、迷路のような湿った細い路地を、五分間も連れ添う羽目になってしまった
ハマルどころではなかった 浮き上がっていた

向こうから来る日本人を認めると、路地を折れたり店を覘く振りしてやり過ごした
すれ違うしかない時は、顔をそむけた
それなのにインド人の一人一人が日本人の誰それに見えてくる
あっちから歩いてくる彼は渥美清を丸くしたような顔だとか、そっちからくる彼女は沼尻さんちのスミちゃんに瓜二つだとか
半年のつもりだったが二週間で引き返すことにした
精神に異常をきたしてしまったのだから「仕方ないのだ」と言い聞かせた

一年のオープンチケットはコーローさんが準備してくれた
帰りの便は自分で予約しなければならない
旅行代理店や航空会社の事務所を「あっちに行き、そっちに行き」疲労困憊した
空港では右往左往した 
アライバルが到着で、出発がデパーチャーとは知らなかった

必要に迫られ英語を使っている現場にたまたま居合わせた日本人は
「君の英語は片言以前だね」と言った
またある男は「その英語で海外をうろつくとはいい度胸だ せいぜい日本人の評判を落とすがいい」と吐き捨てた
一刻も早く日本の地を踏みしめたかった 
「もう二度と外国になんか来るもんか」と呪文のように唱えた
乗り合わせが悪く、バンコクで三泊しなければならなかった
最後の日になった 
二十三時発の成田行きに乗る
宿に頼み二十時に空港へのタクシーを予約した
それまでは飯を食うにも散歩するにも、ホテルから離れないようにしていた

「でも最後なんだし」と歩いて二十分のシーロム通りエリアに遠出した
ロビンソンデパートの成田という店でカツ丼を食い、腹ごなしにチャオプラヤー川の方へ歩き出した
向こうから来る女と目が合った 
その二秒後には、いきり立っていた 
テントを張るといった生やさしいレベルではない 
そいつは天に向かって屹立し下腹に張り付いたのだ

女が接近してくる 
「@@ホテルを知らない? @@@@ 確かこの辺なんだけど 聞いたことない? わたしはシリー あなたは?」 
「ヒデオだ」 
「わたしは23 ヒデオは?」 
「29だ」 
「マレーシアから来たの クアラルンプールのクラブで歌ってるの」
いつのまにかシリーは腕を取っていた 
「ねえ、ヒデオ 時間はある?」 
ないことはないと答えたかったがとりあえず「イヤー」とだけ言った

「ホテルの下がコーヒーショップになってるの 何か冷たいものでも飲まない?」
シリーは返事は待たずにタクシーを止めると、中にぼくを押し込めた
ボッキを覚られまいと、ともだちから餞別にもらった、刺繍を施した布製の肩下げ袋を股間に載せる 
だがシリーの左手はバッグを潜り抜け太股沿いをナデナデするのだ 
首に回した右手は左の耳穴をホジホジする 
そして唇が首筋を這い這いする
これは尋常、ではない
 
「この辺」のはずのホテルに行くのに、タクシーを止めるだろうか? 
それにしても一言の英語も話せないのに、何故シリーの言うことは聞き取れてしまうのだろう?
ついさっきもシリーは耳たぶを齧りながら
「ヒデオはベーリービューチフル」と言ったのだ
着いた所はホテルではなくモーテルだった
タクシーに乗っている間ずっと起ちっ放しだった 
あと三日は萎えそうにない

どこからか現れたボーイが一室に案内する
シリーはあっという間に一糸纏わぬ全裸となった 
ウエストにくびれはほとんどないが、臍周りも股の付け根も、どこもかしこもはち切れそうだ 
オッパイは、まるでリンゴを手にした麻田奈美
シリーがTシャツを脱がしスウェットパンツをずり下げる

<説明>する
出発前貴重品をどこにしまうかで悩みに悩んだ 
出した結論がサポーターだった
膝用の長いサポーターを二つ折りにし、中に忍び込ますのだ
出し入れがしやすいようスウェットパンツにした
シリーの手がサポーターにかかる 
「ノー」と唸って振り払う
こんな成行きは想定外だった 
これでは貴重品の在り処を教えているようなものだ

シリーはサポーターにさほどの執着は見せず、ベットに押し倒す
「そうだわ  コーヒーでも飲みましょう」
部屋の電話でコーヒーの注文を済ます
再び乗っかかってきた
部屋がノックされた
シリーが裸のまま部屋を開けると、入って来たのはコーヒーではなく、背の高い痩せこけた女だった

「あらケイじゃないの 彼がヒデオよ」
シリーが早口でまくしたてる 
「ハーイ! ヒデオ」
とケイも一糸纏わぬ全裸となった
「こうなったら三人で楽しみましょうよ」
と言ったのはシリーだったかケイだったか
ぼくだって馬鹿ではない
女二人の「変形美人局」と判断せざるを得ない
起き上がってパンツに足を通す

ケイがすごい勢いでぶちかましにきた
もろ差しでがぶり寄り、さばおりの体勢のままベットへなだれ込む
シリーがパンツを引っこ抜き、唇で膝小僧を踝をついばむ
ケイの体が離れた
「分かったわ  ヒデオはわたしがキライなのね  シリーの方がずっと美人だものね  いいわ二人で楽しめば  わたしはシャワーを浴びる」
と浴室へ消えた

ケイに代わってシリーが跨がってくる 
シリーは重たかった 
シリーの口が口をこじ開ける  上の前歯の一本が軽度の<みそっ歯>だった
舌と舌とが絡み合う  陰毛と陰毛とが縺れ合う  
イキそうだった 「 早く入れてくれよ」と叫びたかった
膝に異変を感じ、シリーを払いのけ起き上がった時には、すべてが終わっていた

床にパスポートが、チケットが、現金が散らばっていた
すでに服を纏っているケイがハンドバックに何かを入れた
シリーがブラジャーをたくし上げている
ぼくもTシャツに頭を突っ込み、散らばった物を寄せ集める
「何しているのよ  ヒデオは慌てなくたっていいのよ」
ケイかシリーが言った
慌てないわけにはいかなかった  この上部屋代まで請求されたらたまらない
二人と競うようにして部屋を出る

二人は入口に止まっていたクルマに乗り込み何処かへ去った
パスポートとチケットを確認する  
かき集めた現金は$十紙幣が一枚と$一紙幣が二枚だけ 
スウェットパンツの฿六百は無事だった
そこがどこなのかまったく分からなかった
タクシーを止めるしかなかった
三輪タクシーに交渉すると฿百だった
宿の女は空港までの車代は二百と言っていた  何とかなりそうだ

ホテルに着いた
二十時まで四時間二十分あった
一ミリたりともハメていないのに、ハメ盗られた五十万円を少しでも回収しようとシリーの肢体を思い起こし、ミッチリと身の詰まった尻の感触を反芻しながら、タイ語で言うところの凧上げชักว่าวをした
二十三時の飛行機は台風の影響で飛べず、一晩ホテル待機となるのだが、それはまだ先の話だ
凧上げは二度した





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