2020年1月17日金曜日

新藤兼人の5本 その2 生きたい

5段目2番
祈り

年を取るに従い月日の流れが<速さを増す>ように感じる
事態というか<現象>は容易に説明がつく

1年間の<総記憶量>を1と決め、仮にXとする
Y÷Xが1年間の速さ、年速になるわけで
例えば4歳児が味わう1年の速さは
4÷1=4年速
現在の53歳なら
53÷1=53年速                      
ぼくの生きるスピードは、4歳時の4分の53倍だ

昔、テレビが言った
「人類の直接の祖先ではないナントカ原人は、感情を持っていなかった」
ぼくらは戦後民主主義教育を<真っ向から>受け止めた世代
ヒトと他の動物の一番の違いは、感情を持っているか<否>かによると「習ったような」気がする
記憶違いだろうか?

象や豚や猫や家鴨に感情がないとは思えないが「感情を認識する力」あるいは「過去と未来に支配される心」と言い換えれば納得できないこともない
      
ナントカ原人は、怒ることもうれしがることも妬むことも悲しむこともないのだから 、何かを記憶する必要はない
殺しあう必然も、道理も、義務も、権利も、な~んにもない
ただ仲間が死ぬと花を捧げて踊り、弔うのだそうだ
それは感情から生じる行為ではなく、祈りの一形態らしい
祈りに似た感情を敢えて捜せば<いとしさ>なのではないか

ナントカ原人にとって、ぼくが53年を費やして発見した光陰矢のごとし>の定理は、無味乾燥なものとなる 
彼らは刹那と刹那の間隙を
つまりは<永遠>を生きたのだから




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