1段目8番
判で押したように
判で押したように
ビールを5本飲むと判で押したように意識が飛ぶ
ウイスキイを1本空けると判で押したようにその翌日を棒に振る
掻巻にくるまると判で押したように母を忍ぶことになる
ぼくんちは貧乏だったが、総中流化の流れに乗って高校生になった頃
た頃、尻尾にぶら下がった感覚があった
その頃から死ぬまでが唯一母の生涯で時間と心に余裕のあった時期余裕があったではなかったか
ままだガキだった頃は小説を読む母の姿は想像すらできなかった
とところがツボにはまったやつに出くわすと、一気に読み上げてしまうのだ
まうのだ
高卒で上京し、30前に所帯道具を実家へ引き上げるまで7度引っ越した
越した
掻巻の裏地を替えに出てくるのを母は年中行事にしていたから、
都合8つの部屋を訪れたわけだ
掻巻を繕う母を目にしてタッパに入った稲荷寿司やきゃらぶきやたらのめのやタラの芽の天ぷらを肴に飲むのは贅沢なひとときだった
10代から何度か問題を起こした飲酒癖を、母は快く思っていなかったはずだが
はずだがその日は特別のようで、ひどい2日酔いでお茶でお茶を濁していたら
濁していたら
「なんだ、きょうは飲まないんか」
と不満げにいうので、あわてて自動販売機に走ったのだった
母は自分のことを語る習慣を持たない人だったから、どのような少女時代を送人生を送ったのか知らないが長女でもあったし責任感の強い少女であったこ女であったのは間違いない
そのころ働いていた物産店での旅行を一番の、掻巻上京をその次かその次あたか次の楽しみにしていたようだ
「ヒデオのお陰で東京中見ることができた」
と、7回か8回聞いた
中学生の頃まで母と2人で歩くのは気恥ずかしかったが、社会人になったらそになったらそんなことなく、待ち合わせ場所の西口改札や3番線ホームや北口ホームや出口へ、時には自転車で時には徒歩で、いそいそ出かけて行ったのだ
行ったのだ
日本酒を1升空ける時は判で押したように、8合目あたりで1度吐く
吐く
何かの拍子で母が死んだ日に視界が開くと、判で押したように、
はんだ付けされてしまったように、ぼくは動けなくなる
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