山久保<ヤマクボ>
は昔から山久保だった
俺のかあちゃんは山久保で生まれた
なもんで、小さい頃、何度も山久保へ行った
「スイカを食い過ぎて小便をむらしたのだ」と行くたんびに言われた
家の横っちょには、沢水を引き込んで板で囲った二段構えの流しがあった
こぼれた水が<池>を作る
そこへ下の姉が落っこちて大騒ぎになった
羊のいる家があった 松本さんちだ
山久保には松本と吉新しかなかった あと阿久津が少しと
かあちゃんの旧姓は福田だが、分家したからだろう
本宅は松本だ
ほんの四、五分坂を上ると土葬用の墓があった
かあちゃんのかあちゃんは、俺が小学五年の時死んだ
かあちゃんのとうちゃんはそれよりだいぶ前で(金ノ助)と言いつるっ禿げだった
田圃の真ん中に(何かあった時に鐘で知らせる)見張り塔があり、それを撞く役目であることを誇りにしていた
中学に上がると山久保小学校の奴らと一緒になった
野球部へは吉新和彦と阿久津正男が入ってきた
休みの日、阿久津と一年四組の教室で待ち合わせて将棋を指した
阿久津は五キロの山道をお握り持参でやってきた
初めは互角だったが、そのうち敵わなくなり自然消滅した
同じクラスに吉新奈美という女がいた
自己紹介の時
「奈美と言う名は兄がつけてくれた わたしはこの名前を気に入ってる」
と真っすぐに言った
山久保 パート2
平成の大合併で新しい日光市になっても山久保は山久保で一ミリたりともズレることはなかった
だが、かあちゃんが生まれたうちは消えてなくなった
従姉弟のケイコちゃんもヒロシ君も、家を出て所帯を持ったからだ
かあちゃんのおふくろさんが死んでからというもの、ずっと実家へは行ってなかった
かあちゃんの弟モリゾウさんの葬式に、三十数年振りで行ったのが最後になった
ただ山久保になら何度も行っている
中学の時には三度行った
野球部の伝統行事に(山久保稲荷社、行って帰ってマラソン)
というのがあったからだ
吉新と阿久津には面白くとも何ともなかったろう
そして五十を過ぎ走り出してから、日光に腰を据えてる時は、
気が向けば山久保まで走る
何度かうちのあったところまで行ってみようと試みたが、何故か行き着くことが出きなかった
かあちゃんのもう一人の弟ケンちゃんは埼玉の朝霧で、妹ミッちゃんは高根沢でまだ生きてるはずだ
だがもう会うことはないだろう
二人が死んでも、葬式には金がないから行けないだろう
俺が先に死ぬことも有り得ぬ話じゃない
まあともかく(かあちゃん)が(かあちゃんのおふくろさん)と、どんなふうに接していたのか、忘れてしまった
というかイメージできない
それが心残りだ
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