聖書と太宰治
聖書には旧約と新約がある
太宰はカチカチ山などお伽噺に材を取ったモノが多い
歴史はとてつもなく長い
繰り返すともよく言う
果たして、そうなのだろうか?
太宰は苦しく悲しい
若い頃の一時期スラスラと読んだが最近はダメだ
津軽の婆や越野タケのくだりには涙したが
ついこないだ図書館からヴィヨンの妻のCDを借り山本學の朗読で聞いた
不思議と読んだつもりになっていた
なぜかは知らない
映画、特に外国物を見ると聖書を紐解かざるを得なくなる
そうしないと何が何だか分からなくなる
映画の出来立てに思いを馳せれば圧倒的に過去の話
映画にだって歴史はある 振り返りたいに違いない
いろんな訳の聖書を読んできた 新世界訳が占めるウェートは大きい
つまりエホバの証人
証人に清原団地に来てもらい聖書の勉強をしたこともあった
イエスの死を思い起こす集まりには研究を止めたあとも2年続けて出席した
<エホバの証人>を支持する理由の一つに輸血の拒否がある
高校時代から大好きだった献血を20代半ばで止した
また争い事や勝負事を好まない
いつしかぼくもそうした人間になっていた
なぜかは知らない
0 件のコメント:
コメントを投稿