2024年10月26日土曜日

富田靖子の5本 その5 南京の基督

 50段目5番

市川森一


幽婚を先日ユーチューブで面白く見た

森一は平成23年に死んだ

葬儀委員長を山田太一が務めた

「私の方が7歳年上なので、てっきり市川森一さんが見送ってくれるものと思っていた」と弔辞で述べた

森一は1941年4月17日に生まれ2011年12月10日に死んでいる

山田太一は2023年11月29日老衰で死んだ

異人たちの夏の脚色をしたのは市川森一

山田太一が強く希望した故

放送評論家鈴木嘉一のエッセイに<山田太一さんと市川森一さん>がある

松竹に対しての太一の答え「脚本にする時間がない どうしてもと言うなら市川さんが書いてくれることが唯一の条件です」

中に写真が収められてある

日本放送作家協会50周年イベントでの2人のツーショット

福岡市は市川森一の追悼式典で、演出家堀川とんこう、脚本家の中園ミホ、山田太一が椅子に座り並んでいるモノ

また(山田さんは実に筆まめだった)ともある

おそらく早稲田大学の同窓生寺山修司と親交を結んだのが要因だ

その修司も1983年5月4日47歳で死んだ



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