41段目6番
墨田区八広
のアパートに住んでいた時
3つの図書館が当距離間にあった
そのうちのひとつで中上健次の講演会があった
半年後に死ぬのだが
ギスギスに痩せ細っていた
本人に覚悟があったかどうかは見抜けなかった
物語について語り
円地文子をこれでもかと持ち上げていた
新潮への持ち込み仲間、宇都宮市役所に勤めたことのある立松和平は、同郷なので早くから読んでいた
北方謙三も、意識的に転向を計った「弔鐘はるかなり」から読んでいた
ぼくは文学青年だった
当時、中上健次はすでに大物感が漂っており、食指は動きにくかった
初めてのアパート、大家と廊下で繋がった、4畳半が上に2軒下に2軒の(武内荘)で、2階の、子供が2人ある夫婦が真夜中に大喧嘩をして金魚鉢を倒し、押し入れの布団をグショグショにされたことがあった
翌日カミさんが菓子折りを手にドアをノックした
それと瓜二つの、中上健次の小説を読んでいた
ハマり込むには生々しすぎて、敬遠した記憶がある
大好きな梁石日と、中上健次と紀和鏡の娘中上紀が、タクシーガールでドッキングしている
秋幸モノ3編を読むのは、清原団地に越してきたあとだ
65を過ぎていた
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