39段目5番
後藤洋服店
ハローワーク日光を介して面接した
返事はなく7日が過ぎ、ハローワークに赴いた
やはり返答は届いておらず「電話で聞いてみましょうか?」
と言ってくれたが、あと3日を待つことにした
当日、係の曽篠さんが電話してくれた
不採用だった
「本人には直接知らせる」
と、担当者は曽篠さんと約束したが、いつまで待っても電話はなかった
父のコネで入った産業新潮社を、3ヶ月で辞めた
それは予定の行動だった
事後報告した
「とんでもないことをしてくれた 面目丸潰れだ」
と父の愚痴はしつこかった
入社前、父が後藤洋服店で背広を誂えてくれた
その後、数え切れない雑多なアルバイトで生活をし続けた
ぼくらの年代、仕事はいくらでもあった
このところの就活で、ハローワークは懇切丁寧に、履歴書の書き方を教示してくれた
修正液を使うなぞ、とんでもないご法度なのだ
ぼくは数ヶ所間違えても、ボールペンで黒く塗潰し、平気の平左で面接にのぞんでいた
正社員になりたいと思ったことなど、1度もない
当時非正規はこっちから望まない限り、厚生年金にも健康保険にも加入する必要はなかったのだ
けれどせっかく作ってくれた、父が言うには「すこぶるいい生地で仕立てた背広」に日の目を見せたかった
で、1度だけ正社員になった アド通信社だ
狙いをつけたその他諸々は、面接にも至らなかった
アド通信社での仕事は、スポーツ新聞に載せるサラ金の広告取りだ
毎日、背広を着、前日の名残(赤い目)をしばたたかせ電車で通った
2週間といなかったのではないか
関連詩 バンビちゃん
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