39段目2番
斎藤仁一先生
が、日光小学校1年~3年までの担任だった
その時の同級生に下の名前は忘れてしまったが斎藤何某がいた
転校してしまったが、それが3年の時なのか、4年でのクラス替え以降なのか、あやふやだ
そんなふうに、ぼくからすれば何某は地味な児童だった
ぼくは相撲が強い
小学生で1学年違えば雲泥の差があって然り
ところが1年上のケージちゃんやマサオちゃんに交じっても、互角以上に戦えた
より正確には8割方相手を圧倒した
中学2年の秋に円形脱毛症を発症してしまうのだが、それまでなら「1番だった」と還暦を7年半過ぎた今も自負している
斎藤何某とはよく相撲を取った
彼のことで覚えているのはそれだけだ
彼は技を仕掛けてこない ただじっと組み合っている
その腰が異様に重かったのを、まだ身体が知覚している
右四つに組み合うだけの彼に、負けた記憶はない
勝った、投げ飛ばした記憶もまたないが
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