37段目6番
岡田加藤大山
中学1年時、3年生は雲の上の存在だった
野球部の3年生は天皇陛下以上に畏れ多かった
兄貴から「弱い弱い」と聞かされ、てっきりそう思い込んでいたが
3年生は強く県大会にも行った
特に岡田加藤大山の中央ラインは強烈だった
加藤さんはエースで4番、主将だった
僅か2ヶ月でやめてしまった同級生の伴に、朋恵というお姉さんがいて、加藤さんと同じクラスだった
家は隣同士、2人にはお決まりの噂があった
岡田さんは3番でキャッチャー、長打力では1番だった
2年になって同級になった岡田三重子のお兄さんで、ぼくたちが噂の種になったこともある ニヤつく以外なかったが、もうその時は鹿沼農商でレフトを守っていた
大山さんはセンターで1番、守備範囲はプロ野球の誰よりも広く、1年の時の同級生大山哲男のお兄さんだ
大山は球技と言うかスポーツ関連なら何をやらせても上手い
「大山の次はこの俺だ」と自負していたが、野球を含めて大いに伸び悩んだ
大山さんの鹿沼農商でのポジションは、なぜかセカンドだった
レフトは神山さん、日光市の大会でファールフライを見事キャッチしたが鉄棒に激突、大怪我をした
ぼくは日高へ進学し、5キロの道のりを登下校した
帰りは我が家目指し、先を急ぐ
彼女とこっそり手をつなぎ、ゆっくり歩く神山さんを、何回か追い抜く羽目になり、こっちが赤面した
ライトの設楽さん、上手くはなかった
サードは湯沢さんで地肩が抜群だった
5番を打っていた リリーフだったが大会で投げることはなかった
ショートも湯沢さんだ 2番打者だった
やはりリリーフピッチャーで下手投げ、加藤さんに代わって先発することもあった
セカンドは唯一の2年生で、主将に抜擢される宇佐見さんだ
3年生に勉強のできる輩はいなかったが、宇佐見さんは秀才の誉高く、県内一の進学校を当然受験し、落ちた
そしてその頃から流行りだした<高校浪人>になった
ファーストの名前は失念、でもその人のスローイングや捕球姿勢は思い描ける
鹿沼農商へ岡田さんと大山さんが行き、日高に加藤さんと神山さんが進んだ 他の人たちのことは知らない
日高よりも<鹿沼農商>の方が野球はずっと強かった
加藤さんは早くからエースだったが、勝つことなく市役所に就職した
2年後、ともだちの真ちゃん(佐久間真二)も市役所に入った
手続きに訪れると加藤さんが応対することもあった なんせ雲の上の人だからかしこまってしまう
やさしい人だからよく「サクマがさあ」と真ちゃんを話題にした けれど2人の仲というか関係は知らない
カラオケが爆発的に流行していた 久良多写真館の右か左のスナックにもカラオケがあり、真ちゃんと1度行った
朗々と歌い上げる真ちゃんはちょっと気恥ずかしかったが、音程はぼくより遥かに良かった
<アグネス・チャン>の<ひなげしの花>を朗々とじゃなくモノマネしたことがある
そのことを手に取るように覚えている
前川清を見ると今でも、大山さんや岡田さんが彼を大好きでよく歌っていたのを、懐かしく思い出したりするのだった
0 件のコメント:
コメントを投稿