2022年11月8日火曜日

井上荒野の5冊 その1 よその島

 37段目2番

宝石商


なのか鑑定士なのかその両方なのか? 

あの当時ヒトの話を機嫌よく聞くタイプの人間ではなかったので、彼の職業は曖昧なままだ 

ぼくは彼を尊敬していたし、慕ってもいた 

もっと言ってしまえば懐きたかった

それなのに彼の名前を忘れてしまった 

度忘れって感じではないので、死ぬまで思い出すことはないだろう

彼をで押し通すのはあまりにも味気ない 

マルマルさんと呼ぶことにする


声をかけてきたのはマルマルさんの方だ

チェンマイに通い出した当座PKゲストハウスを定宿にしていた

ここは日本人客が大半を占める 

なるべく日本人とは交わらないよう心掛けていたから矛盾する

が、日本語が通じるところで安心したかったのかもしれない

だいぶ酔っていた

道路との仕切りの鉄の門が閉まっていた 

ぼくは余裕で門を乗り越え、事なきを得たつもりになった

鍵はかかっていなかった

それをマルマルさんに指摘されたのだ


バンコクマレーシアホテル近くの安宿で門を閉じられ締め出されたことがある

文字通りの門限で鍵もしっかり閉まっていた

仕方なく門前の路上に寝込んで朝を迎えた

あとから考えれば門を乗り越えれば良かったのだ 

越えられない高さではなかった

その時の教訓を生かしたつもりだったのに


マルマルさんと口を聞き合う関係になった 

日本人と仲良くするなんて余程のことだ

マルマルさんがオートバイでチャングプアク火葬場目の前の置屋街に連れてってくれた

2、3日後にひとりで行ってみることにした

トレッキングがメインの旅行代理店で自転車を借りた

県立チェンマイ図書館の角を、ハッサディセーウィー道路ถนนหัสดิเสวีに入って行くべきなのだ

が、フアイゲーオ道路ถนนห้วยแก้วへ乗り入れてしまった

1つ1つの路地を探索したところで行きつけるはずがない

道を覚えられないのは車の運転に興味がないからだ

と、妙な納得もしてしまう

1日仕事で見覚えのある街並みに出くわした

夕方になっていた 店に色とりどりの電球が点滅し始めていた

見つかったら用を足すつもりで、自転車は翌日の10時までに返せばいいようにしていた

疲労困憊してその気にはなれず、宿の近場で飲んだ


今よりずっと昔、岡場所はもっとあった 女たちの年齢は低かった

ロイクロ道路路地の3ถนนลอยเคราะห์3一帯の岡場所へも、マルマルさんが案内してくれた 

チャングプアク火葬場付近よりさらに安く、娼婦によってはちょんの間50฿があったと記憶している

とある1軒に入ると、女が馴れ馴れしくマルマルさんに近づいてきて2人は店の奥へと消えてしまった

その子が<PKゲストハウス>に出入りするようになった 

いや元からそうだったのかもしれない 

目当ては無論マルマルさんの部屋だ

マルマルさんがいくら払ってたかは知らない 

彼女が勝手気ままにやって来た可能性だってある 

とにかく彼女はマルマルさんに懐ききっていた


マルマルさんと再会したのはバンコク中華街のジュライホテルでだった

知り合ってから2、3年経っていたように思う

チェックインしようと受付でゴタゴタしていたら声をかけられた

早速近所へ飲みに行った

マルマルさんは翌日、うろ覚えで申し訳ないが、ベトナムかカンボジアかミャンマーへ仕事で出かけるとのことだ

仕事なら宝石が商売道具 横文字でいえばジュエリーを、1度も見せられたことがない 

まあ買うはずのない男ではあるが

マルマルさんは「人と会う約束があってさ 悪い悪い」

と1時間半で席を立った

タイウヰスキーサングティップแสงทิพย์の丸瓶กรมが、半分以上残っていたし、つまみも食べかけだったのでそのまま飲み続けた


またマルマルさんはジュライホテルの5階か6階に、食堂があることを教えてくれた

中華街の安宿は概して暗い 

ジュライホテルも真昼間から明かりが必要だった 

おまけに1年中ジメジメしている

そこはホテルの食堂というより場末の飲み屋みたいだった


50を過ぎてからはバンコクへは寄らず直接チェンマイに着く飛行機を選ぶようになった

45位までは先ずバンコクへ行きジュライホテルで数日過ごし、バスでチェンマイに向かうのが定番だった

汁なしシナそばบะหมี่แห้งを食べ、水草ジュースน้ำบกบวกを飲まねばならなかった

2度アパートを借りたほどだからバンコクの街は嫌いではなかった

1度滞在すれば、1度は薄暗く小汚い食堂で飲んだ

別にマルマルさんとの再会を望んだわけじゃないが、やや小太りの姿を見かけることはなかった








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