2022年4月4日月曜日

大林宣彦の5本 その5 転校生

 32段目6番

なぜ?


と問われても答えようがないし、比べるのが本意でもないのだが、ブラット・ピットとレオナルド・ディカプリオとマット・デイモンの中ではマット・デイモンを一番気に入っている

すぐ思い浮かぶのが<ボーン・スプレマシー>で、インドのどこかの浜辺を、まるで重戦車のように疾走するシーンだ

相手役のフランカ・ポテンテは冒頭で、ボーンの身代わりに撃たれ死んでしまうのだが、前作<ボーン・アイデンティティー>では出ずっぱりで翳のある色気を振りまいていた

ドイツ人で身長が174センチとウイキペディアにはある 

無念だが見たのはこの2本だけだ


マット・デイモンと似たような走り方をする日本人を、1人知っている

グワーンパヤオกว๊านพะเยาというのはパヤオ湖のことで(グワーン)は人造湖を指す

湖畔にสวนสมเด็จย่า90พรรษาソムデットヤー生誕90周年記念公園がある

ソムデットヤーはラーマ9世でもある前国王プミポンの母堂で、生きてる間も死んでからもみんなに親しまれてきた 

王室のおばあちゃんとの意味合いだが、この愛称は彼女だけのものだ

中に有名なงำเมือนอนุสวีย์พ่อガムムアン国王像がある

そこをスタートしてゴールするミニマラソンに参加した


ถนนชายกว๊าน湖畔通りをสวนสุขภาพ健康公園に走り、สวนเทศบาลลานอเนกประสงค์市営アネーク希望公園とも呼ばれるそこを1周して、北上し、2本のドナサム通りとถนนรอบเวียงประตูชัย勝鬨めぐり道路が正三角形に交じり合うところを突っ切ると、国道1号線に流れ出る

チェンライの方へ4キロ走りตลาดมณีัรัดน์マニーラット市場に向けて左折、ドナサム通りに入りศาลาประชาคม公会堂とパヤオ病院の間を通り抜ける 

つまり国道1号線を、さっきとは逆方向に走ってることになる 

健康公園より遥かに小さい公園を右に曲がると、再び湖畔通りで、スタートした公園がすぐ左手に見えてくる

実は長大な国道1号線はถนนพหลโยธินパホーンヨーティン道路と言い、またドナサム通りの別名もパホーンヨーティンなのだ 

となるとパヤオの幹線道路は、すべてパホーンヨーティン道路になってしまう 

これはどういうことなんだろう?


マット・デイモンと瓜二つのフォームで走る日本人も、このレースに参加していた

結果はどちらとも2位であった 

彼は一回り以上若いから年齢カテゴリーは別々だ

ぼくは50歳~59歳の範疇

彼らのグループには人材がいなかったのだろう 

タイムは、ぼくの方が(数段)勝っていた 

この後、彼とは数度同じレースを走るが先行を許したことは1度もない

彼の名前が思い出せない ありきたりの名前ではなかったから(度忘れ)ではない 

便宜上<重戦車>と呼ぶことにしよう

重戦車はรร พิทยาคมピタヤーコム高校で、日本語を教えていた

その学校の主催だった 

普通、主催したところがスタートでありゴール地点ともなるのだがナンラカノ事情があったのだろう

表彰式で重戦車の名前が呼ばれると、生徒たちが拍手をしたのには驚いた

レースに出たのはその時期パヤオに住んでたからだ


パヤオに住んだりチェンマイへ戻ったりを2、3回繰り返した

重戦車が、ぼくを追うようにチェンマイに移り住みピン川沿いに伸びるถนนเชียงใหม่ーลำพูนチェンマイ〜ランプーン道路(国道106号線)に面したรร เชียงใหม่คริสเตียนチェンマイクリスチャン高校に勤めだした

またまた彼の学校主催のレースがあり出場した

結果もコースもはっきりと覚えてないのは、きっと大した成績ではなかったからだ


評判が芳しくない現国王の母親の名前を冠したสวนสมเด็จกระนางเจ้าสิริกิต๊シリキット王妃記念植物園で行われたレースにも参加した

このブログにも書いたが、そこは遠い 

国道107号線(チョタナ通り)をずっと行って、メーリムで国道1096号線に入り、メーサ滝、エレファントキャンプを通り越して、さらにずうっと先だ

前日の宿泊が可能かどうかが分からなかったので、当日、何と1:00にママチャリに跨ったのだった

ミニマラソンと謳ってはいるが山登りと変わらなかった 平らな部分は管理事務所だけ

疲労困憊してレース後は素早く帰り支度した


国道107号線に出たところで重戦車が追いついた

ぼくは自転車だが、彼はレースの時はオートバイ

誘われて道路脇のไก่ย่าง鶏の丸焼きの屋台に陣取った

バイクの彼に気を使い、アルコールは控えたはずだ

その折、彼の給料が1万バーツに少し欠けるのを知った 

それだと生活するのがやっと、の額だ

パヤオ大学で日本語を教えていたキクチは3万バーツ貰っていた 

キクチは大学の教育学部を出ているので日本語教師の資格がある

重戦車は、きっと無いのだろう

ぼくがチェンマイに居座ってる間に重戦車はクリスチャン高校から、そしてチェンマイからも消え失せ、音沙汰がなくなった

重戦車と1対1でお喋りしたのは、その時だけだ




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