31段目4番
チェンダーオマラソン
チェンマイの街からチョタナ通り(国道107号線)をファーンฝาง方面に北上する
バスはチャングプアクバスターミナルから、いくらでも出ている
メーテーンแม่แตงのバス停で降り、右側の山に押し入る感じで、割と広い道路を登って行く
当然、乗り合い軽トラが、行き来してると思っていた
ないのだろうか?
結局、1台も見かけることなく、10キロの道のりを歩いてしまった
集落の方から、カラオケ大会の歌声が聞こえてくる
だんだんどんどん、語尾がはっきりしてくる
集落名は忘れたが、この辺りもメーテーンの一部で、今ウインターフェアの真っ最中なのだ
ぼくが出場するマラソンもその一環として組み込まれている
どこもかしこも集落は人だかり 出店がズラリと並んでいる
宿泊施設として、どこかにお寺が用意されてるはず
だが、出店の一軒に引っ掛かり沈没した
身体に湿りを感じ、起き上がるとテントの上だった
つまり、泊まるべき寺にはたどり着けず、テントを張ることもできず、広げただけのテントに乗っかって眠っていたのだ
スタート地点が見下ろせる、草むらだった
レースはスタート直後に、道路を左に折れ、ずっと下っていくのだが、坂道が尽きたところで、棄権した
ハーフマラソン(10キロもあった)に登録してたが、1キロも走らなかったろう
翌年も参加した
10キロの山道を考慮に入れ、ママチャリにした
アパートから、優に50キロはあるから、みんなびっくりしていた
新明天庵である山内さんの家に、お邪魔したことはないがバス停の左手路地奥にあるという
いわば地元だ
1回目は用事があったようだが、2回目には娘さんともども参加した
娘さんの方は堂々の1位であった
チェンマイにフリーペーパーは2つある ちゃーお!と、もっと古いヴィアンチェンマイだ
それにシャラバヤ祭りの記事が載った
いのちの祭りコンサートと銘打って南正人や豊田勇造 元たまの知久寿焼なんかが出るらしい
一時期ヴィアンチェンマイの事務所は、プラシン寺วัดพระสิงห์とパーポウング寺วัดผาปองが建ち並ぶシングハラート通りにあった
斜め向かいにお好み焼き屋<のぼる>の赤提灯が見えたが、入ったことはない
のぼるが小太りの男だと知るのは、店がガードスアンゲーオの裏手に越した、あとだ
ヴィアンチェンマイでは、日本語の小説が、ただで借りられたのでよく通った
ある日、南正人と遭遇した
コンサートの打ち合わせに来てたのだと思う
奥さんなのか、恋人なのか、マネージャーなのか、更紗を着た女と一緒だった
「いやあ驚きました 楽屋でペンチを使ってチューニングしてる変なのが、いたんですが、それが南正人でした」
と吉田拓郎に言わしめた伝説のシンガーだ
<よし!そのシャバラヤ祭り、行ってやろうじゃないの>
と心に決めた
コンサートはチェンダーオのキャンプ場で、4日3晩ぶっ通しでやる
ぼくはママチャリにテントを括り付け、出発した
チェンダーオはメーテーンの先だ
メーテーンまでは平坦だったのに、チェンダーオに入った途端、急峻な坂道となった
とてもじゃないが、漕ぎ続けられない
それに便意を催してきた
キャンプ場まで、45キロ以上の長丁場だから小休止を2回取り、ビールを2本ずつ飲んだので疲れてもいた
ぼくはフルマラソンを14回走り、完走は1度だけという特殊技能の持ち主だ
肛門と大腸の緊張が緩むのだろうか? 疲れてくるとすぐ便意を催す
気のせいではない よくホテルやコンビニのトイレに飛び込んだが、いつだって大量に出た
国道107号線の左端は、膝小僧くらいまでの浅い側溝になっている
水の流れていない、そこに入り込みズボンパンツをずり下げ、かがみこむ姿勢で脱糞した
身も心も軽くなると、急にコンサートが色褪せて感じ、引き返したのだ
ちょっと前、このブログに蘆原寺でのミニマラソンのことを書いた
その時、宿泊場所の幼稚園で3人組に出会った
リーダー格の男がチェンダーオの人で「うちらもマラソンをやるんです 初めての開催なんですが是非いらしてください」
とチラシを手渡されたのだ
その2ヶ月後、出場すべく、ファーン行きのバスに乗ったのだった
ここで時間の流れを、はっきりさせておきたい
シャバラヤ祭りへ行こうとしたのが、一番昔のこと
次が、このチェンダーオマラソン
そして、メーテーンのウインターフェアの順になる
バスを利用したのは、あの急坂は自転車では無理、と判断したからだ
チェンダーオの街に近づくと107号線は左へ大きく迂回する
それを繋ぐバイパスが1359号線だ
街はバイパス沿いに広がりバスもそこを通る
チェンダーオのバス停で降りた
さらに50メートル先へ進むと、左手に50メートルの坂道があり、てっぺんの高台にウッタラームワングチョウム寺วัดอุตตารามวังจ็อมがあった
夜、寝るのもスタートもここ、お寺が主催者なのだ
午後の早い時間から夕飯のサービスぶっかけ飯ゲーンカーオラードแกงข้าวราดがあったので、早速いただいた
やることがないので散策する
3回コンビニに立ち寄り、缶ビールを2本ずつ買った
腹ごなしに、歩きながら飲んだ
他の人に倣ってお堂の中に持参したテントを張った
18:00にはテント入りしたものの、19:00頃から読経の声が下腹に鳴り響き、眠れたもんじゃない
2時間は続いた いつだってレース前の夜は眠れない
さてレースだが、坂道を下って1359号線をファーン方面に5キロ走り、戻ってくる
最後までペースは落ちなかった ラストの坂道も軽やかにスパートできた
数え切れぬほどのレースを走ったが、会心のレースは、そうあるもんじゃない
1つ選ぶなら、迷うことなくチェンダーオマラソンだ 全体でも20位以内に、入ってるだろう
翌年は、チェンマイ在住のレジェンドランナー隼田さんの車に大村夫妻と同乗してやって来た
寺には泊らず、バンガロー風の宿屋にお金を払って寝た
レースは、1年前とは逆にチェンマイの方に走って折り返す
その折り返し地点が分かりづらく、年齢別では5位に食い込みはしたが、お父さんが自転車で追走する小学低学年の子に楽々と抜かれ、散々であった
参加選手は、それなりにいたと思うのだが、このマラソン大会はなぜか2回で、ぽしゃった
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