22段目3番
植木等のスーダラ節
を、得意になって歌っていた
小学1、2年の頃だ
道を、道端を歩いていると、まるでモーターのスイッチが入るみたいに、ゼスチャー入りで、つい「スイスイ、スーダラ、ダッタ」
と、雄叫び挙げてしまうのだ
当時は目立ちたがり屋だった
目立つことに何の恐れもなかった
また、まだ音痴でもなかった
音痴になったのは、多少、思慮深くなったのは(声変り)をしたあとだ
おしんこ哀歌
高卒で上京し、親父のコネで入った茅場町共同ビル三階にあった産業新潮社を、予定通り三ヶ月で辞め、満を持して選んだバイトが蒲田は東口ミカドというキャバレーのウェイターだった
赤坂のミカドと関係があったかどうかは知らない
運が良けりゃホステスと懇ろになれるかもしれない
との期待というか下心は十二分にあった
入って三日目、とあるホステスがぼくに向かって「おしっこ、おしっこ」と訴えるのだった
おそらく新入りの子なのだろうと、トイレを指差してあげた
と、そのホステスは「いったい何なのよ、この新人は」と喚き散らすのだ
彼女は、<お新香>を注文したのだった
まだピカピカだったぼくの自尊心は、罵詈雑言に耐え切ることができず、三日で無断退職した
青白きインテリ
を、文学青年をめざしていた
無頼派という響きに魅かれもした
そしていつのまにか、青年中年を通り越し、暑苦しい初期高齢者だ
挙句の果てが毎朝ナワトビを振り回す
健康オタク
だが(#星より密かに、雨よりやさしく)本音を明かせば
いまだに無聊をかこっているし
気分のいい日にゃ、陰でこそこそ無頼を気取ったりする
人に後ろ指、指されようと指されまいと
ぼくのチャームポイントはケツ青き似非インテリ性にある
0 件のコメント:
コメントを投稿