14段目1番
ケ
秋の新人戦が終わると、次の年の三月まで髪のケを伸ばしてイイことになっている
十一月十七日の将棋の日十四歳になった
手鏡を壁に吊るし「ああでもない、こうでもない」とヘア・スタイルの研究に余念がなかった
と、指先にツルッとしてるのに吸いつくような感触が走った
前頭部のド真ん中が一円玉大に禿げていた
一人で悩むのは一晩が限界だった
打ち明けるとおやじは床屋へと出向いた
生方理容店のノブちゃんは棚の奥からヘヤー・クロンという毛生薬を取り出した
(ヘヤ・クロ)は一ヶ月で使い切り紫電改に切り替えた
ブラシを握り締め、暇を見つけては杉浦直樹にならって血が滲むまで叩いた
けれど、叩けば叩くほど、禿は図に乗り、一円玉から五円玉に、そして十円玉に、旧五十円硬貨に、ついにはピンポン玉大になった
河合病院では???光線を五分間患部に照射し、直接注射する
ペニシリン注射の数億倍も痛かった
脱脂綿をあてがわれて診察室を出る
ある時、同じクラスのZさんとすれ違った
全校レベルでも五本の指に入るボーイッシュなZさんはスポーツ万能だ
ほどなくインキンの治療で病院通いをしてるとの噂が流れた
クスリを待つ間、そっと脱脂綿を外してみる
ケが百本くらいこびりついていた
授業中は手でケを押さえ、いらわずにはいられない
いらえばいらうだけケはポロポロと教科書に落ちた
禿は粛々と進行したが
ケも伸びるので何とか隠し通せた
両サイドのケを真ん中に掻き集めるたこ八郎のような髪形になった
四月になり三年生になった
どうにか産毛らしきものがちっらほっらと生え出した
顧問の市花先生は坊主にしないことを認めてくれた
だが、みんなで主将は小林と決めたのに、強引にぼくに直した
小林との間はあとあとまでギクシャクした
「自分で拝むのが一番だから」
日蓮宗の一派ショブツブッショコネンの信者である母は身延山へと連れ出した
何回乗り換えしただろう?
その日は宿坊に泊まり、翌日は夜が明けぬうちから母と行を共にした
せっかくなので拝む代わりに、取引をした
「こいつをなんとかしてくれたなら、一生結婚できなくても構わない 一生涯、誰からも愛されなくて結構日光大和観光だ」
夏の大会が来た
まだ産毛の域を出なかったが一応は生えそろった
思い切り坊主にすることも考えたが、しなかった
レフトの大島は納得がイかないのだろう
いきなり帽子をひっぺがし、手をケに突っ込むのだった
地区大会の上位二校が県大会に進める
となれば夏休みの大半が練習で潰れることになる
「負けちゃうべ そうすっぺ」
が、吉新との合言葉だった
勝てば県大会だという試合は1対0で負けていた
振りぬいたバットに手応えはなかったが、打球はレフトの頭を遥かに越え、三塁打になった
「なんだよ、まだ息があがっているのに一球目からスクイズかよ」
スタートを切った瞬間勘違いに気がついた
先生は、腰ウエストに手を当てている
つまりウエスト一球待てのサインなのだ
バッターボックスの大島が憮然たる表情で、三本間に挟まれるぼくを見ていた
その帰り道
「やったっぺ、マジで八百長やったんべ」
と、しつこく言うのだった
ファーストの神山も口を揃えた
円形脱毛症は癖になる
二十歳前まで、年に一度、どこかしらがなった
慣れたせいか、いずれも軽症
それ以降は無事収まっている
取引は成立し継続中なのだ
仮に今、一方的に契約を破棄しても、つまり結婚しても、もしくは誰かから愛されちゃったりしても
五十八の自分に、ほとんどケはなく円形脱毛症にはなりようがない
関連詩 丸井絹代信夫夫妻
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