2020年2月7日金曜日

新藤兼人の5本 別格 ある映画監督の生涯溝口健二の記録

5段目5番
いずれやすらぐ


A君がガンだと聞いて「ほんとかよ」と聞き返した
末期と聞いて「うーん」とひとつ唸った
A君とはそれほど親しいわけじゃない
だが、親しくないわけじゃ、決してない
いやらしい言い回しになったのは、A君に対し何のアクションも起こさなかったからだ
A君は死んだそうだ
早速ひとつの詭弁をデッチあげる
ガンであろうがなかろうが、早期でも末期でもステージ3でも、エイズでも大した違いはないのではないか
いや、あるだろうが他愛ないことなのではないか
俺たちは
いずれやすらぐ

やすらぎは巨人より巨大で、大鵬より懐が深く、玉子焼きより甘美なのだ
果てのない宇宙より広大で、京マチ子より包容力がある
ビックバンも
あるとすれば不幸さえ抱擁してしまう  
ヒトも犬もミミズも象もメダカも蝙蝠もシーラカンスも恐竜もお釈迦様もキリストもマホメットも
分け隔てなく飲み込んでくれる
おそらく、そういう年の頃なのだろう 
60を前にこれまでの人生いったい何だったのか、と考える機会が多い

残るのは悔いだけだ
何も為せなかった
何人かの女を好きになったが、誰ともヤレなかった
家も車も貯金もない
欲しいと思ったことはないが、子供もない
年金は貰えたとしても3万3千円ポッキリだ
お先真っ暗だが、それほどの不安は感じない
俺はいずれやすらぎ救われる
ヒトは胎内から、ひりだされる時
いずれやすらぐ
と脳天に刷り込まれるのだ

だからどうにかこうにか、時にはラリりつつ、時には切羽詰まりながらも
生を営む




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