2019年12月3日火曜日

遠藤賢司の5曲 その5 東京ワッショイ

4段目6番
だんだんどんどん
 
人が死んでいく
このブログの登場人物で死んでしまった人を列記してみる
「唇によだれ」のええさんが小学二年の時に死んだ
次の年ばあちゃんが死ぬ
おふくろが死んだのは三十五の時
五十代に入ると一気に活性化する
「いずれやすらぐ」のA君が死に
兄貴が死に
おやじが死に
何の断りもなく川名子が死んだ
犀の目をしたサイちゃんも死に
今年の二月には
「あの人は不良よ」
と、ひとみさんが喝破した
大将が、建設現場で居眠り運転のダンプカーに突っ込まれ、死んだ

知らないだけで死んでしまっている知人もいないとは、いえない
どうせ死んでしまうものを
わざわざ殺してどうしようと、いうのだろう
戦争で一息に何十万も殺して、何の意味があるのだろう?
と、ここまで書いて気がついた
「どうせ死んでしまうのだから、己の都合で殺したってかまいやしない 我が身は痛くも痒くもない」
というのが、いにしえからの国家の論理、言い分なのであった

だんだんどんどん
「どっどっどっ、どっどっどっ」と、怒涛のように
国家が権力がハヂシラズ、アベノミノシンゾウが増長する
なりふりかまわず厚顔無恥に
「殺してしまえ」とふんぞり返る





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