漫画喫茶
を、沖縄県那覇市で初体験した
メールを確認しようと、ブースの馬鹿でかい画面を使いログインしようとしたが出来ない
酔っていた
「ったく!」
舌打ちし、バッグから自前のノートパソコンと泡盛のボトルを取り出す
こぼしてしまった
俺より先にアルコホールを味わったパソコンは、壊れてしまった
そのことを受け入れるのに1週間かかった
漫画喫茶には3泊した
酒で腫れ上がってしまった顔面を、垂れ下がった瞼を、元に戻すのには、それだけの時が要った
オキナワにやって来たのは、こんなところに流連するためではない
何度も言ってるように1日500円のテント生活のためだ
那覇空港に着いたのは10月11日だった
遅かったので、その日はゆいレールで赤嶺駅へ出てビジネスホテルに泊まった
翌日は壷川駅で降り、豊見城根差部にあるホームセンターさくもとを目指して歩いた
自転車を買うのだ
自転車があれば本島全域を行動範囲にできる
しかし、気が変わった
いったい何回立ち止まり腕と肩を休めたろう
姪から貰ったL,L,Beanを背負い、上の姉から借りてきた(詰め込みすぎて妊婦のように膨れてしまった)ショルダーバッグを引っ掛け、さらにテントとマットを括り付けたやつを振り分けにしていた
これを全部自転車に積み込むのは土台無理
代わりに買ったのが、テントが入る大きさのスーツケースだ
一番安いのが、最低ランクのママチャリと同じ<税抜き12,800円>だった
壷川から何キロか歩いた
その日はそれで疲労困憊してしまう
下地を拵え、またまたビジネスホテルの厄介になった
次の日は与儀公園に向かって歩いた
今日日のスーツケースは引きずるんじゃなく、押すのね
軽く手を添えるだけでスースーと先へ先へと滑ってく
自転車を諦めたのは正解だった
荷物を積んだり結わえる手間が省けるし、置き場所を探す必要もない
オキナワに来てから一滴の雨も降っていないのに、水はけが悪いのか公園はジメジメしていた
水溜まりがいくつもある
ここには県立図書館と市立中央図書館があり、与儀大通りを挟んでスーパーマーケットもある
野宿できれば理想的だが、他を当たることにした
県立図書館は改築中とかで、12月半ばまで休館なのだ
中央図書館は外より暑かった
館員も入場者も全員うちわか扇子を使っていた
雑誌の拾い読みをする
額の汗を手の甲で拭うのが煩わしく、早々と退散した
さてそれからのコトは、よく覚えていない
漫画喫茶の前に、5泊はしたはず
1度もテントは張らなかったし、野宿もしていない
どこに、どういう順番で泊まったのかもゴッチャになっている
ビジネスホテルは、どこもかしこもマッチ箱のよう作りで、高いのは1万円した
1度奥武山公園のユースホステルに泊まった
会員だった高校以来で、4000円のドミトリーは朝まで貸し切り状態だった
大浴場があると知って歓喜した
あまりにヌルイのでお湯を出そうとしたら、蛇口が壊れていた
「旭橋駅にそびえ立つ那覇バスターミナルビルの中に図書館がある」
と、聞きつけ行ってみると、12月16日が開館だった
それが県立図書館で、与儀のが移ってくるらしい
改築中ではなく移転中だったようだ
そういえば建物はシャッターが降り、そのまま放り出されてあった
うみそら図書館は牧志駅を降りてすぐ、3階建ての細長いビルヂング3階にある
ここは冷房が効いていたから、何十回と通った
いくつもの公園に行った
どこもキャンプ禁止とあったが「野宿をするな」とは書いていない
テントは橋の下に張るつもりであったが、那覇に架かる橋の下は川の水があるだけ
河口だからなのか、川原の部分が一切ない
<うみそら図書館>に近い希望が丘公園は名が示す通り、小高い丘にあるコンパクトな公園だ
その上がり框的なところに、見るからに浮浪者然とした男が所帯道具を広げていた
その方とはおともだちになれそうになかったので、そこでの野宿を諦めた
気に入ったのは<奥武山公園>だ
やたら広いからベンチは無数にあるし、便所も数えきれない
テニスコートに野球場、ユースホステル、果ては神社まで何でもある
「きょうから野宿だ」
と、意気込みベンチに張りついた夜は、やぶ蚊につきまとわれ20時が限界だった
あしたのためのその1と称し、ファミリーマートで虫除けスプレーを購入したあと行き着いたのがユースホステルだった
<奥武山公園>は19,20,21日の金土日とナントカ見本市が開催される
あちらこちらでテントの設営のためガードマンが目立った
翌朝4時に起き、公園の中と、その周囲を走ってみた
ベンチに寝ている奴は一人もいない
橋を渡ってウツボのような形の漫湖公園にも足を延ばす
野宿者は見つからなかった
毎日歩きに歩いた
<ゆいレール>に乗ったのは初日と2日目の2回だけ
のどが渇けばコンビニに押し入りワンカップ焼酎を手にした
スーパーを見れば、小便ついでにトリスのミニボトルをポケットに忍び込ませた
もちろん勘定の、あとでだ
飲めば飲んだだけ、この世の些末事はどうでもよくなってくる
おおらかさを装い、安そうな店にしけこむ
時間を潰したい時は<奥武山公園>のベンチをハシゴした
涼みたい時は<うみそら図書館>で新聞を読んだ
奥武山公園駅から牧志駅まで5区間だが、歩いても30分
飽かずに(行ったり来たり)した
1日に3往復なんてこともあった
旭橋駅の高架下を、そのたんびに通るわけだ
ちょうどホームの真下国道58号線の歩道に半円形のベンチが2つ並んでいた
その1つにいついかなる時も、黒の長袖を着た男がひとり身を横たえていた
俺よりちょっと年下だろうか
髪と髭は伸び放題だが鳥の巣状にはなっていない
もう1つのベンチの下に、彼の持ち物だろう、紙袋が数個押し込まれている
そこに腰をおろし、陣取ったことがある
彼を真似て寝転んだりもした
「どうして那覇にはセブンイレブンがないんですか?」
と、話しかける空想に捉われた
空想のまま終わった
たっぷり2時間は粘ったつもりだったのに、30分と経っていない
その間、彼は微動だにしなかった
1日500円の生活なんてトンデモない
1万円でも収まらない
「どうにかしなくちゃ」そんな潜在意識が、泥酔した俺を漫画喫茶へと、向かわせたのだろう
位置の把握ができていなかったが、3日ぶりに外に出てみると国際通りだった
<うみそら図書館>とドン・キホーテの中間くらいか
実行に移すことにした
図書館のある建物の多目的トイレで頭を剃るのだ
お湯が出ることは、確かめてある
黒長袖男のように野宿の場所の確保も大事だが、頭を剃れる空間を見つけることの方が、もっと大事だ
なかなか野宿に踏み切れないのは、そういうわけだ
来る前は短パン一丁になって手頃な石に腰掛け、川の水でと考えていた
那覇に川はあっても川原がない
川岸に佇めるような場所が見当たらない
「洗髪はご遠慮下さい」
との貼り紙を尻目に、上半身裸になって剃り始める
落ち着けない
まさか隠しカメラはないだろうが、焦ってしまう
35の時、電気カミソリを試した
話しにならない テカテカと輝かない
だいいち音が邪魔して、無我の境地に至れない
毎日の剃髪は心静めるための、大切な儀式だ
とてもじゃないが、トイレの中じゃ平安は得られない
腰を据えて野宿でき、頭の剃れる場所を見つけ出す必要がある
そのためにもドミトリーはキライだが、簡易宿泊所を捜すことにした
このままじゃ200万の貯金は減る一方だ
国際通りを沖映通りに入って、すぐ右手にそれはあった
1週間で1万円
「ここはあしたにならないと空かない 泊埠頭の南風なら7日間9500円できょうからでもOKだ」なんだと
経営者が同じなのだろう
料金を支払い、3キロはゆうにある道を歩いていく
歩道橋の上から<南風>全体を目の当たりにした時、薄汚さに愕然とした
まださっきのところの方が増しだ
どちらも従業員は一人のようだ
フロントのようなものはあるが、そこに誰かが詰めていた試しはない
用を足す時は、こちらから捜し回らなければならなかった
正午にチェックイン、部屋の2段ベッドは5つで、人の気配をカーテンの向こうにひとつ察した
荷解き中にもう一人が入ってきた
軽く挨拶をしあうとすぐ出ていった
階下の共同の冷蔵庫はモノで溢れ返っていた
入れようとしたモノを仕方なく持ち帰りバッグに詰め直し、外出する
そして、酔った
俺は取り囲まれていた
囲んでいるのは同室の男たち6人か7人か8人で、口々に「出て行ってくれ」と懇願している
酔っているのは重々承知
何か迷惑かけただろうか?
兄弟が1組いて弟の方は40代だろう
ダウン症だった
そいつがしゃくりあげ、しゃくりあげ言うのだ
「兄ちゃんの通りだ 兄ちゃんが正しい 出ていけ」
と
俺は納得したのだろう
ベッドに上がって荷造りを始めていた
それを兄弟と、もう一人が見守っている
閑話休題
奥武山公園駅のホームを降り、直角に横断歩道をふ2つ渡ると、カフェみたいな飲み屋のような店がある
「歌える」とある
扉を押し開け、押し入るとカウンターに初期高齢者の年の頃の女が一人いるだけだ
同じく初期高齢者の男の下半身が久方ぶりに疼いた
「霧笛が俺を呼んでいる」
を15年振りに歌った
2曲目の「銀恋」を声震せデユエットしていたら、男が一人入ってきて、カウンターの端っこに座った
誰がどこからどう見ても、ママさんのダンナであった
それから1時間、三人で世間話をした
何故かダンナが都こんぶとか、昔、駄菓子屋で売っていたような菓子を数品くれた
その駄菓子と家から持って来たしその実の醤油漬けを「お詫びの真似事です 皆さんで食べてください」
とカッコつけ兄弟に差し出し、宿を出た
残り6日分の宿泊費を返して貰う気はさらさらないが、フロントは無人だった
ローソンがあったのでスパゲッティの大盛りをやけ食いした
午前1時を過ぎていた
タクシーを止め「旭橋」と告げる
辺野古に行く
行って座り込みに参加するのだ
そうすれば堂々と大手を振ってテントが張れる
ホテルを3軒当たったが「満室」と拒否された
国道沿いのシャッターの降りたこじんまりとしたビルの麓に、マットを敷いて仰向けに寝た
今回一発目の野宿だ
1時間もしないうちに聞き覚えのある音が聞こえてきた
シャッターの上がる音だ
夜も明けていないのに、なぜ上昇していくのだろう?
河岸を変えざるを得ない
<ゆいレール>のホームからは、地上に降りずとも<那覇バスターミナルビル>に乗り込める
その間の通路は屋根付きで、できたばかりなのかピカピカだ
マットは広げずに直接寝た
1時間もしないうちにどこからか、どこかに雇われた警備員が二人やってきて丁寧な口調で移動を迫った
バスの発着はまだのようだが、バスターミナルビル1階の待合室は明るい
何人か仮眠をとっている
端からここにすれば良かった
さまざまな案内図をさまざまに検討した
直接辺野古へ行くバスはなかった
名護市方面のバスをどっかで降りるのだろう
それはどっから出てるのか?
だんだん面倒になってきた
テントが張れたとして、頭はどこで「剃りゃあいい」
海が近いとしても海水じゃ刃は錆びてしまうだろう
待合室と隣り合わせにファミリーマートがあった
境はなく行き来は自由だ
泡盛と牛乳を買って、待合室かファミリーマートのテーブルにつく
牛乳がチェイサーだ 泡盛は生に限る
引き返すことにした
日光に帰る
10時を待ちHISへ向かった
10分とかからなかった
翌21日の羽田行きが取れた
急だったためか手数料の2000円を加えると来た時の3倍26,300円した
<HIS>を右に出て30メートル行き、さらに右に曲がって30メートル進めば、そこはビジネスホテルの入り口だった
5200円の部屋を端から端までそろりと歩けば、3分はかかるくらいゆったりしていた
何より専用の電子レンジ、ホットプレートがある
驚くなかれ洗濯機まで据えられてある
無料の完全自動洗濯機でパンツ2枚を洗いながら、大通りを挟んで斜め向かいにあるファミリーマートで買ってきた助六をつまみに、俺は缶ビールを飲んでいる
実は断腸の思いでオキナワを断念した時、よみがえってきた記憶がある
<広報にっこう>の市営住宅入居者募集の記事に1万円以下の物件があったのだ
おそらくそれを借りることになるだろう
部屋にテントを張り1日500円で暮らす
そして優雅に風雅に孤独死する
というわけなので
俺は今でもオキナワという語感と字面が大大大好きなのだ
シャバダバダ シャバダバダ
サラバジャ オキナワ!
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