2024年11月25日月曜日

ドストエフスキーの5冊 その5 悪霊

 50段目10番

ロバート・フロストは


1874年3月26日に生まれ、1963年の1月29日に死んでいます

ショーシャンクの空に 原作を読んではいません

赤毛のアン 詩の朗読まではたどり着けました

確かに乙女の祈り(バダジェフスカ)はロバート・フロストの作品です

でも彼のことなんててんで知らなかったなあ

1961年ジョン・F・ケネディの大統領就任式で詩の朗読をしたらしいけど


祖母と清水フクさんの口喧嘩のくだりは面白かったです

タカコは隆子と書くんですね

その隆子ちゃんと映画を観に行ったらしいけど

タイトルは覚えていますか?





ドストエフスキーの5冊 その4 白痴

50段目9番

冥途へ


このブログで日記、手紙、写真の類は、50の時に全部燃したと書いたが、

写真だけは残した

そいつを去年、中学、高校の卒業アルバムと共に、厳重に紐で括り投げ捨てた

燃やしたかったが勝手に焚火をしては イケない

だが、厳密にはそれも

12枚取っておいた

処分する気はサラサラない


写真その12

幼稚園の頃だろうか、2人が立ち姿で並んでいる

ケージちゃんは半ズボンに襟付きのシャツとチョッキを着、坊ちゃん刈り

ぼくは坊主頭で綻びたジャケツを重ね着し、膝の抜けたコール天のズボンを穿き如何にも貧乏人っぽくカメラを睨んでいる



2024年11月20日水曜日

ドストエフスキーの5冊 その3 地下室の手記

 50段目8番

少々兄弟へ


検針員の奥様には2ヶ月に1度のその日、呼び鈴を押して頂き感謝しています

聞くところによれば土日と娘さん共々、我が終の棲家清原団地を訪れたことありと、有り難いです

ですが10月12日から昔通りに元の職場に復活しました


下の姉の影響で一番近しい宗教はエホバの証人

ぼくは奇跡を信ずる者です

また<エホバ>という言葉を使わないことに、三位一体を否定することに、輸血を拒否し勝負事を避けることには諸手を上げます


新世界訳ゼカリヤ書1−3に大軍を率いるエホバとあります

この表現にはずっと違和感を覚え続けて来ました

今市図書館<フランシスコ会聖書研究所>の訳では万軍の主はこう仰せになる

だからって、どうこうああ、ではないのですが〜


では、また



2024年11月15日金曜日

ドストエフスキーの5冊 その2 貧しき人々

 50段目7番

ぼくのトコロには


2年前、月々¥4、980の支払いで購入したネット環境があります

それなのにベイシア電器で買ったパソコンは<接続されておりません>との表示一点張り

そこで東武下今市駅へ持ち込み何トカ役立てています

実はそこでも3回続けて繋がらかったのですが、紅葉シーズンの上に土、日が重なった影響かも知れません

手紙には内容がダブるトコ有りとありましたがそれも有りこれも有り何でも有りです

西那須野のコトは初めて聞く話

ナカナカ興味深かったです

11月17日は将棋の日

1955年に生まれた日

ぼくの誕生を記念し将棋の日が出来ました



2024年11月13日水曜日

ドストエフキーの5冊 その1 罪と罰

 50段目6番

ガラケーから


メッセージが打てない

真ちゃん宛の時は昔通り上手くいったのに

スズキヤスオに出そうとしたらダメなのだ


折角なので文章をココに公にしたい


先月の12日から週2のペースで元の職場に復帰しました

ぼくはスッカリ元気です

よも助



2024年10月26日土曜日

富田靖子の5本 その5 南京の基督

 50段目5番

市川森一


幽婚を先日ユーチューブで面白く見た

森一は平成23年に死んだ

葬儀委員長を山田太一が務めた

「私の方が7歳年上なので、てっきり市川森一さんが見送ってくれるものと思っていた」と弔辞で述べた

森一は1941年4月17日に生まれ2011年12月10日に死んでいる

山田太一は2023年11月29日老衰で死んだ

異人たちの夏の脚色をしたのは市川森一

山田太一が強く希望した故

放送評論家鈴木嘉一のエッセイに<山田太一さんと市川森一さん>がある

松竹に対しての太一の答え「脚本にする時間がない どうしてもと言うなら市川さんが書いてくれることが唯一の条件です」

中に写真が収められてある

日本放送作家協会50周年イベントでの2人のツーショット

福岡市は市川森一の追悼式典で、演出家堀川とんこう、脚本家の中園ミホ、山田太一が椅子に座り並んでいるモノ

また(山田さんは実に筆まめだった)ともある

おそらく早稲田大学の同窓生寺山修司と親交を結んだのが要因だ

その修司も1983年5月4日47歳で死んだ



2024年10月19日土曜日

富田靖子の5本 その4 Kitchen

 50段目4番

異邦人


は、勿論ぼくも読みました

おそらくとよ子ちゃんよりチョット下の中2頃です

覚えているのは「きょう、ママンが死んだ」の出だしだけ

海外の翻訳モノを読むには、聖書を避けることは無理

異邦人だったらフランスの歴史やアルジェリアのことも知らねばなりません

ぼくはすべてにペケ

最近やっと日本のことを調べだす有り様

ぼくが外国語の習得に不向きなのは(素質も重要でしょうが)日本が、日本語があまりにも分からなかったせいです


竜也さんにテンションの高さを感じることはありますが、ええちゃんとは違い、とよ子ちゃん同様疲れません

来年の夏もみんなで遊びに来てください

眞鍋健一さんはムズカシイ人だったとありますが、ぼくはチェンマイで1度会っただけ それは見抜けませんでした

ただその時首にタオルを下げていました

「こんなに手拭いの似合う人は初めて見た」と、言ったはず

確かにタオルを着こなしていました

麻衣ちゃんと彼は、別れにビーチサンダル風の草履を買ってくれました


とよ子ちゃんが感想を述べていたDVDで見てないのは「罪の声」だけです

「義子ちゃんは頼もしい」という意見にぼくも同感です

どんどんどしどし辺鄙なところに立ち会って欲しい

計画性のあるところが、ぼくと大きく異なります


少し前に理想の死に方を「酒に溺れてデス」と、書いたことがあったけど「そうは問屋が卸さない」でしょうネ


では、また