2025年10月14日火曜日

古山高麗雄の5冊 プレオー8の夜明け

 敗戦の日はどうしようもないし


玉音放送の意味がてんで分からない あの頃は当時がちゃんとあったのだろうか?

山口淑子が分からないし、それに関わる川口芳子のことも分からない

ぼくが第一次世界大戦や太平洋戦争を考え出したのは奥田英朗の「普天を我が手に」第一部第二部を読んでからだ


古山高麗雄の小説も20代に「プレオー8の夜明け」など多々読んでるが、11月17日が来れば70歳の押しも押されもせぬ大台に乗るので意味合いがちょいと違う


面白いから第三部も読むだろう

舞台は沖縄で、時代は今よりもっともっと前

三部のそれぞれの子孫たちは「普天を我が手に」ときっとモノ申す、のだ



2025年10月12日日曜日

山口百恵の5曲 その5 青い果実

 水道検針員の


奥さんは検針員庄野と印刷された「使用水量・料金等のお知らせ」の用紙を携えて奇数月にやって来る

「つまり1月3月5月7月9月11月」と

ぼくの水栓番号は00109−00040でありメーターNOは27−250065口径は025だ

たとえば今回ご使用水量の令和7年5月6月請求分は7m立法メートルで5月6月共に2,358円である


娘さんにエホバの証人の勉強を習うようになってから、奥さんは呼び鈴を押すようになった それまでは隙間に挟むだけだったのに

それは娘さんから旦那さんに研究の相手が変わっても、日光市シルバー人材センターに勤めていた時も、そこを辞め近代ビル管理社の東急ハーヴェストクラブで働いている時も、自転車で転び左の肩の骨を複雑に折っても変わらなかった

その日に出かけ不在時も同じだった 日頃の言動でそれが分かった


5月6月の検針日5月2日に多分言ったのだ

「またシルバー人材センターに復帰した」と

7月の検針日、草むしりでぼくは不在だった 彼女が呼び鈴を押したかどうかは知らない

そして9月、部屋にいたのに呼び鈴は押されなかった



2025年10月4日土曜日

山口百恵の5曲 その4 プレイバックpart2

 会話


CDを聴くといつもそうなる

ぼくが「FromT拓郎からの贈り物」を借りたとする

それは藤原図書館にしかない

CDを聴く時は一杯飲んでる時が多いが、あの拓郎と会話している気がする

たとえばCD「キング」を借りたとするこれは多分今市図書館にしかない もしなかったら地下へ潜ってしまったとも考えられる

ぼくは当たり前に清志郎と会話している

さてサラ・ブライトンを聴く時だが、言葉が不自由なので「チョット会話している」とは言えない



2025年9月22日月曜日

山口百恵の5曲 その3 横須賀ストーリー

 さて、10月25日ですが


・・・というホテルに泊まるのですね もうメッセージを辿ることができない

ですから、ぼくが鬼怒川へ行き、最寄りの駅で降り、あるいは・・・というホテルへ出向き、近くの飲み屋でカンパイしてもいい訳です そうしましょう! 26日はその時の打ち合わせで決めましょう

もちろんぼくはそのまま東武電車で帰ります

聖書はマタイ14章まで

三浦哲郎の3姉妹だが、本を読めば容貌までは分からずとも個性は分かる たとえば「素顔」は小説仕立 「笹舟日記」はエッセイだ この2つを読めば個性ほぼ分かるのだった

では、また



2025年9月16日火曜日

山口百恵の5曲 その2 いい日旅立ち

 映画忍ぶ川は


キネマ旬報堂々のベストワン

監督熊井啓としては不満が残るが、彼は様々な三浦哲郎の小説を読んで一つの像を作り上げたのだろう 仕方ないではないか!

さて、映画忍ぶ川だが熊井の構想として女の主人公に吉永小百合を予定したらしい それはそれなりとぼくは思うのだ

小説の方だ 思川といえば栃木市 栃木が徳子の実家なのかもしれない 可能性はある


奥田瑛二が秋吉久美子にボッキしたかどうかは知らない


奥田英朗にとって山田太一が唯一無二の尊敬できる作家なのだった


     三浦哲郎の5冊

1,白夜を旅する人々

2,ユタと不思議な子供たち

3,拳銃と十五の短編

4,素顔

5,モーツァルト荘

生年月日1931年3月16日 没年月日2010年8月29日 79歳没


     熊井啓の5本

1,深い川

2,サンダンカン八番娼館 望郷

3,謀殺 下山事件

4,日本の黒い夏 冤罪

5,千利休 本覚坊遺文

生年月日1930年6月1日 没年月日2007年5月23日 76歳没



山口百恵の5曲 その1 ひと夏の経験

 関根大サーカス


馬場ゼミの1年目に取材の項目があった 2期生のぼくは関根サーカスに狙いをつけ、次の公演である佐原に行こうと決めた「リング」などで今をときめく1期の中田秀夫は刑務所囚人のインタビューをしたらしい

佐原はどんな所だろう? 五木寛之夫人の岡玲子勤めている精神病院で、ある若者が詩を書いた 「風に吹かれて」に載ってるはずだ

それをあたかもぼくが記した細工して馬場先生に提出した

また関根サーカスには阿久根巌がいる 映画の美術担当として1時期出ずっぱりだった

初日からぬいぐるみを着せられてしまった 目の位置がさっぱり分からない 日付が変わった夜半に夜逃げしようと心に決めた だけれども阿久根巌の取材だけは挙行したい それは何とか果たせた


最後にサーカスの歌全文を載せる

      サーカスの歌

サーカスの歌悲し 最近では祭りにサーカスが来なくなった

道化の子はラッパを吹けど誰も笑わず 僕のサーカスの描かれた点景人物は画面の中で静止させられる あたかもこの世界がこの世界が生きているものが動きをやめたと感じられ僕はふっと恐ろしくなる

ああ道化師よ 君は笑いを売れど 君の悲しみを買ってくれる者はどこにもいない サーカスの歌悲し サーカスは滅びゆく芸術なり 二十世紀の遺産なり

レモンの断面のような一輪車の上で輪投げをする道化師の兄弟君たちはその芸を別に誇ることなく淡々と輪投げをする 多くの観客が帰っても 観客席に誰もいなくなっても サーカスの団長が夕食をまずしい夕食を食べ終えて眠りについても 明日の朝まで一度も輪を落としたり失敗もせず 誰かが「もうやめなさい」と言わぬ限り兄弟はていねいに輪投げをするだろう

若い若い子供子供した道化の兄弟 ああ君たちは幸せだ この世で何をしていいか迷うことなく生まれてすぐからこの芸をこの輪投げをして来たの如く 今日もレモンの切り口の断面のような一輪車の上で輪投げをする サーカスの歌悲し 楽師のラッパからするりと抜けたサーカスの歌のメロディはもう一人のラッパにするりとすべり込んでこの世に形を残さない

ああ サーカスの歌悲し


おまけ 五木は詩に添えられたスケッチブックの絵を丹念に丹念に描写していく そんなこと無意味だと言うふうに






2025年9月5日金曜日

なかにし礼の5冊 その5 兄弟

 10月25日に


泊まるホテルは何と言いましたっけ?

日光市シルバー人材センターに復帰したので、ここん所鬼怒川へは足が遠のいています

と言っても週に1度はママチャリで藤原図書館へは行ってるんだけど


ついこの前大変なことがありました

藤原図書館は今市図書館と同じように空調設備が壊れています

日光市3館のうちまともに動いているのは日光だけ

で、2階から借りられる本を降ろしたのですね 村上春樹の新刊なんかを

ぼくは3回目にそいつを借りました つまり過去2回で最低20冊は持ち帰っている

そうしたら女の事務員が足音響かせ自転車に乗ろうとしているぼくに言ったのです 「それは困ります 本当は貸し出すんです」とのこと

「深く深く反省!」

20冊全冊無事返却致しました