23段目6番
記憶
「思い出せない記憶は、思い出さなくてもいい記憶だ」と死んだ川中子は言った
うまいことを言うなと思った
オリンピックの東京での開催が決まった
1964年の時は夢中でテレビにかじりついた
神永がヘーシンクに押さえ込まれ身動きできなくなったのも、依田のスタート前の後方へのでんぐり返りも、半田の回転レシーブも、この目で見た
閉会後、朝日新聞に6ページわたって全記録が載った
それは宝物になった
思い出しては引き出しから引っ張り出し、眺めた
それが6年の修学旅行の写真とともに、忽然と消えた
半狂乱になって捜したが、出てこなかった
取り返しのつかないことをしてしまった、と下の姉に八つ当たりした
ぼくは太腿フェチだから女子バレーボールの中継があればす
すんで見る
この前のアジア選手権は、タイの7チャンネルが生中継したので、タイ代表チームの試合は全部見た
タイは日本との試合を2回勝ち、2回目の優勝をした
自然とタイの方を応援していた
そこにプルンチットがいたからだ
プルンチットのことは10年前から注目していた
プルンチットの太腿は完璧だ
30になりキレイな顔は老けたが、太腿は今も非の打ち所がない
それにしてもタイではなぜ、歯の矯正が大流行なのだろう?
プルンチットもそうだが、代表選手12人のうち5人が矯正中だった
50にして初めてのプロポーズをしたモッドも、最後に会った時は、いい歳こいて歯の矯正ギプスを填めていた
少し出っ歯なところが可愛かったのに
話は突然変わる
ホモサピエンスは感情を持ったことでボタンを掛け違えた
感情が、言葉と記憶を作る
人間は掛け直すことなく掛け違え続けた
最たるものが、国家という概念と貨幣制度を持ってしまったことだ
東京オリンピックの記録に固執し、記憶を肴にだらダラ文を
書き続けてきた
60近くになってこんなことを言うのはおこがましいが、感情と記憶がなかったら
「どんなにか良かったろう」
付記 今度の東京オリンピックには興味も関心もない。ぼくの中でのオリンピックはとうの昔に終わっている。
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