2020年8月9日日曜日

ザ・スパイダースの5曲 その5 あの時君は若かった

9段目8番

 飛び火



自分で言うのもなんだが、ガキの頃の俺は繊細だった
研ぎ澄まされた感受性の持ち主だった
一週間に一度は死の恐怖にのたうち回っていた
大江健三郎「芽むしり仔撃ち」の中で
<内臓の押し合いへし合い>とその恐怖を表現している
「内臓の外壁と皮膚溜まり」とした方がより的確な気がする
そいつは外壁と内壁の隙間を絞り上げるように這いずり回る
無論のこと恐怖は脳ミソなんかで汲み取れるものではない

小学三年の頃
アメリカの飛行機が北ベトナムに枯葉剤を撒かない日はなかった
ナパーム弾を落とさない日もなかった
午後の六時台はNHKを見る習慣だった
天気予報が終われば七時のニュースになる
トップニュースは九分九厘アメリカによる北爆
それを見るのがイヤで素早くチャンネルを替えようとする
意地悪な二人の姉は、面白がって押さえつけにかかる
時々は泣いてしまった
ベトナムの人に同情して泣くのではない
戦争が拡大し巻き込まれるのが怖くて泣くのだ

同じ頃東照宮鳴き龍の入った建物が焼けた
明るくなった空が二キロ離れた窓から見えた
こん時も泣いた
鳴き龍の火が飛び火して焼けただれるのが怖かった

飛び火といえば、二十四、五の頃か
新宿歌舞伎町の「昌平」という中華料理やで出前のアルバイトをしていた
飛び火になった
最初は額にバンダナを巻いた
それじゃぜんぜん追いつかない
抗生物質で一発と聞いて病院へ行った

どうせ行くならと信濃町にあった厚生年金病院に行った
「マル田バツ子が働いていた」という噂があった
そのあとで西新宿の角筈クリニックに移ったらしい
だがそれは又聞き
まだそこにいると考えられないことではない
「この年になって飛び火だなんて、少年の心を失っていない証さ」
決めゼリフも用意したが、奇跡は起こらなかった
これってたぶんストーカー行為ではないだろう
飛び火は一晩できれいさっぱり消え失せた

六十二歳の感受性は、月日の流れに擦り減り鈍麻し、使い物にならなくなった
死の恐怖に襲われるのは、せいぜい一年に一回、長く続くこともない
幼かった頃はそれが永遠に続きどうにかなっちまうんじゃないかと震え上がった
風呂場に駆け込み何べんも何べんも顔を洗ったりした
当たり前だがあした死ぬ可能性は昔より今の方が大きい
そのくせ金もないのにのっぺりと快適な一日を送れるのは、すっかり麻痺してしまった感受性のお陰だ
つくづく「ありがたいことだ」と思う






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